コピーライティングテクニックのジレンマ
結論
最初に結論から。
コピーライティングテクニックは必要ありません。
自分自身のやる気を出させ鼓舞させる時に上手に利用してください。
これが理解できた人は、これから先を読む必要はありません。
なぜなら、読んでもよく意味が分からないで終わってしまうからです。
「答えのないのが答え」
目的も存在せず何のテクニックも使っていない。
ある意味コピーライティングと真逆の内容となっています。
それを承知の上、読み進めてください。
本編
「口が上手な奴には気をつけろ」
コピーライティングテクニックには、あるジレンマが存在しています。
「人の心を思い通りに操りたい。売り上げ、観覧数、ファン、信者…増やしたい。」
あなたはそんなこと考えているいる人の思い通りになりたいですか?
もちろん私達はそれ自体に拒絶反応を起こします。
とはいえ、そんな心理状態は既に分かっているわけです。
故に分からないように仕掛けてくる。いつの間にか操作されている。
「自分のして欲しくないことは、相手にもしない」
「自分のして欲しいことを先に相手にする」
「まずは与えよ。さらば与えられん」
これは基本ですよね。
少し混乱してきましたか?
洗脳と簡単に言ってみても、洗脳する人は「これから洗脳する」とは決して言いません。
当たり前です。
言わないし、見えない。
映画やドラマ、音楽に漫画など、宗教だけでなくあらゆるものが人の心を動かすことを目的としています。
それは目的が崇高であると受け入れられるのでしょうか?
それこそ、そう思わせることができれば、そうなるでしょう。
「これまで血の小便を流すほどの苦労をしてきた」と言ってみても、口先だけです。
結局は文字の羅列に過ぎません。
映像も絵も写真も点の集まりです。
それを現実的に思わせる必要があります。つまり勘違いさせるのです。
そんなこんなを考えると相手を騙す必要があるようで心が苦しくなってきます。
コピーライティングはそんな心の痛みを取り除き、快楽のスイッチを押すことを目的としています。
とはいえ諸刃の剣です。
一歩間違えば、不信感を与え不快な思いをさせてしまい、時には「私を操作しようとしたな!」と憎しみや怒りさえ買ってしまいます。
そうならないためには相手に気づかせなければいいだけです。
その中で気づく人もいるかもしれません。
例えばコピーライターは気づきます。
不快にならない場合、目的が同じだからかもしれません。
だとしても強力すぎるコピーには嫌悪感を感じるおそれもあります。
自然になめらかにジワジワと浸透するように…
例え気付かないとしても、それに気づいた時、怖いものを感じるでしょう。
その意味では恐怖から逃れるために人は騙され続けたいとどこかで感じているのかもしれません。
でもできれば上手に騙してほしい。
できれば気づかないように。気づいたとしても期待を上回るほどの感激を感じるほどの優しい嘘をついてほしい。
それは愚かだといえるのでしょうか。
それとも、全ての洗脳やコピーを見破ることが賢明なのでしょうか。
そもそも「分からないように使う…」いやらしく感じますね。
どこかに誇りを持たないと、こんな言葉が頭をよぎります。
「コピーライティングは必要ない」
優れたコピーライティングは物語の力を使います。
「どうとらえるかは読者次第です」
自由を与える言葉です。
とはいっても、それがテクニックでないとしたら書く意味はどこにあるのでしょうか。
何かの目的がないと行動できません。
自分だけが確認する日記なら別です。
それは誰かに見てもらう目的はなく、それ自体が物語です。
意図して作られた物語には目的があります。
それが読者次第となるなら、物語は1人歩きをはじめ、作者の伝えたいことは半分も伝わらないかもしれません。
「伝えるには、まずは気づいてもらわないと」
ただ単に見させるだけが目的だとしたら、それは本末転倒になります。
そんなものを見ると嫌気が差します。
そうならないよう相手のことを思い、相手のために相手が役立つと思うことを伝える。
それも押し付けがましくないように。
しかも人ごとで済ませず、対岸の火事でもなく緊急性を伝える必要があります。
そこには「責任感」があるべきです。
「使命感や信念」これは相手の本能を刺激し「yesかno」の2択を迫ります。
選択肢を奪うことは自由を奪うことです。もちろん私達はそれに反発します。
その上、全ての人に伝えようとすると、結局誰にも伝わりません。
「誰でもは、誰にも」ということです。
そうならないよう「1人」に伝えます。
ただこれは「1人」に伝えれば伝えるほど、それ以外の人には反発されます。
選別できるからそれでいい。と、必要ない人には嫌な思いをさせなければいけません。
「たとえ自分が嫌いな相手だとしても、嫌な思いなんてさせたくない。」
出来るだけそれを避けるためには、本当に必要な人にだけ見てもらうことです。
「1人に伝える」これも使い方次第です。
不特定多数を相手に見てもらう必要があるところでは逆の効果が生じます。
ここで違う角度から”違い”の話をします。
例えばあるものを見た時のことです。
人の心を操作しようとする意図を隠していることが分かり、とても不快な気持ちになりました。それが「ただ続きを気にさせる手法」の中に隠されているならなおさらです。
なぜなら、ただ気になるという理由で「いやいやながら見させられている」気分になるからです。
多様化に追いつかない理由で、最近感じられる機会が増えてきました。
この理由は分かっています。これは長くなりそうです。話がそれるため別の機会に譲ります。
逆にそれが見させるテクニックだと分かっていても、喜んで何度も見たくなるものもあります。これは映画やドラマ、漫画だけではありません。たとえそれがコピーライティングテクニックの内容だとしても同じです。
この違いはなんでしょうか?
共通点は「操作されていると感じている」という点です。
通常であれば操作される事態は拒絶反応を起こします。
それはセンス良く上手に表現されているかどうかの違いです。
コピーライティングのコピーは複製という意味ではありません。
上辺だけのテクニックやリライトでは、伝わらないどころか不快感さえ引き起こします。
上辺というのは、バックグラウンドが希薄だということです。
言い換えると「手抜き」となります。
スマホの電波が目に見えないように、それら目に見えないものが伝わります。
このようなジレンマにもがき苦しみながら、工夫を凝らすことにもっともっと苦労していくことです。自分のために、まずは相手に喜んでいただくために
「どんなことが喜ぶのだろう」
これは生身の人間に聞くべきです。
リサーチが便利になったといって、数字や情報だけの集合体から影響を受けるべきではありません。そこは長時間情報量を増やしている者が有利な場所です。
殆どの人はあくせくしながら日々働きに出ています。
これを勘違いした結果どうなるのか?
受け手は内容のない刺激的な言葉ばかり浴びせられ「もういいから」という感覚におそわれます。そう感じつつもこれが普通なのかと無理やり容認せざるを得ない状況です。しかも忙しい日常の中口を挟む余裕もありません。更に忙しいことが社会のために努力している結果だとしても卑屈になってしまいそうな社会の中で私達は生きています。
と同時にそれは情報の出どころがどこかは関係ありません。エビデンスさえも見せ方だけで操作できるのですから。
結果として大衆相手にびくびくしながら気を使うことを意味しています。権力や名声の力を得るほどそうなっていきます。つまり悪循環です。
もし社会性がなく気にしないことができるのなら、反対にあえて反発感情を引き起こす手法もあります。
「注目を浴びるためなら何をしたって構わない。それが金になるならなおさらだ」
それは教祖のように反対意見を力に変えていく存在なのでしょうか。それとも悪用ということなのでしょうか。
それはまだましです。
味方を増やすために共通の敵を作りだすことで、先手必勝のごとく繰り出すライティングテクニックもあります。
言い換えると「自分のことは棚に上げるテクニック」です。
良心の欠片があれば恥ずかしくて使えないテクニックですが、多くの人を気づかせないように使用できます。
ともあれ、どんな手法や言い方をしても、相手次第で解釈が変わります。
それは”誤解”です。誤解を引き起こさないために丁寧に慎重に伝えていく必要があります。
とはいえ、それはかなり面倒です。
なぜなら、分かってもらおうとすればするほど、相手は自由を奪われる恐怖から逃れたくなるのですから。
そこでは相手への尊重が必要不可欠です。
簡単にやりたいなら、内容や意味のないシンプルで感情を刺激する分かりやすい言葉を反復するだけで印象操作ができます。
そうです。
少し考えるとおかしいと思うことも、忙しく情報過多に埋もれがちな社会では効果を発揮します。
ただしそれだけでは単に無秩序を自由と履き違えてしまうようなものです。
なんであんな人間性のない人が、なぜ、あんな薄っぺらい言葉が効果を発揮しているのか。
言い過ぎです。そんな考えはしたくない。社会性があればできれば他人を批判したくない気持ちが沸き起こります。それは自分自身への批判に通じることを知っているから。
しかもその本当の理由は、いちいち深く考えることに疲れたからです。
頭の中ではかなりのスピードで思考がいきかっています。表面上では深く思考することも可能です。その一方でそれは頭の中だけの話となっています。
身体全体はともなっていません。身体全体を動かし感じるには「行動する」という選択と決断というある程度のエネルギーが必要です。
その理由で、選択の連続に疲れました。
それがどうだこうだと考えつつも、結局のところ強い印象だけが残っていった結果です。
これは高度な知能をもっているようにみえて、その実本能に従っているだけだといえます。
しっかりと染み込ませるために繰り返します。
頭の中だけを脳と表現できます。
心や魂とは脳を含めた身体全体を示します。
つまり”感覚”です。
感覚は身体全体から伝わります。
身体全体を震わせるような感動的な文章を作ることは簡単ではありません。
映像化してもそれは点と点をつなぎ合わせたに過ぎません。つまり脳を騙しているだけです。
ここで一旦話を変えます。
そもそも相手にとって役立つと思わせることを書く必要があるのでしょうか。
「面白ければそれでいい」
脳の疲労やストレスが増え、気分転換の必要性が生じました。
私達の生きる現在社会では、気分転換のアイテムは雨後の竹の子の如く存在しています。
「人を駄目にする物やサービスが売れる」
役立つと思わせるということは、自動化のように簡単にして楽にさせてやるだけです。
面倒なことは全て却下。
その総合能力の低下はストレスが増える要因になり、更なる気分転換を欲します。
そのサイクルの中に、儲ける要因が隠されています。
「頑張る」なんて言葉はご法度です。
根性論など論外です。
かといって論理的に考えること自体も疲れました。
必要なのは気分転換です。
では気分転換とは何なのでしょうか?
それはそれこそが…この記事は書きかけです。
ここまで読み進めた人は楽しんでもらえたでしょうか?
最初に目的はないと言いましたが、実は正直に言うと「深いコピーライティングを身につけるため」に作りました。
ここは、この後も追加し続けたいと考えています。
お楽しみにね。
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