性格を変える方法なんて存在するのか?しかも、簡単に変えられるなんて…
「性格なんて、簡単に変えることなんて出来るわけがない!」
そう信じてやまないあなたに朗報です。
性格を変える方法の人間行動実験が行われます。
今回は、その求人案内の情報。 ちなみに日給10万円です。
性格を変える方法(求人)人間行動実験の被験者の日当は10万円なり。映画【エクスペリメント】の情報
性格を変える簡単な方法なんて存在するのか?
疑り深い人でも、この実話を元にした映画を観た後なら、少しでも考えが変わるかもしれない…
これは1971年に、実際にアメリカで行われた人間行動実験を元にした映画
『エス』
元々は、ドイツで映画化された(この頃は、まだアメリカで裁判が終わっていなかったためドイツで制作された)
『エス』の衝撃再び。『プリズンブレイク』の制作チームが送る、実際に行われた実験記録
まずはこちらをご覧いただきたい。(実話)↓
元になった映画『エス』の言葉の意味は
心理学・精神分析学の用語で、「無意識層の中心の機能」
1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われたスタンフォード監獄実験を元にしている。
当時アメリカでは裁判がまだ続いており制作・放映が出来なかったためドイツで制作された。
それが今回遂にアメリカで『エクスペリメント』という名前で制作された。
明日より日本でも公開される。
※ちなみにエクスペリメント意味は実験・実際の試みということ。
『エス』から『エクスペリメント』という名前の変更も興味深い。
もしかすると今回はアメリカ発なので、悪い印象を与えないよう、前向きな言葉に変えたのかもしれない。
エスが必ずしも悪い印象とは限らないのだが、エスの意味を理解し映画のエスを実際に観ればわかる。
では”エス”を理解するためにわかりやすくするために、”自我”と一緒に説明していくとしよう。
エスVS自我~終わりなき闘い
自我は一般的に『意識する自分或いは自分を意識する』ととらえられている。
実際には、少し違う。
自我は最も頻繁に行う活動の一つとしての外界からの無意識に起こる防衛機能ということ。
有名なフロイトの格言「自我はそれ自体、意識されない」
※この言葉に象徴されるように無意識に自我という防衛機能が働いている。
超自我についてー
自我にルールを伝える機能を持つ。(理想的な親のイメージなどで形成される夢のコントロール含む)
超自我の働きに関係している前頭葉は、現在行った未来の結果の認知や行動の選択社会に対しての行動や物事の相違点の判断に関係している。
それに対し、エスは無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動、過去における経験が詰まっている部分。
※エスはイド(ラテン語)と訳されアメリカ系の精神分析学で流布された。
エスからは自我を貫いて、あらゆる欲動が表現される。
しかしこれだけでは集団行動に影響を及ぼすので、自我が防衛昇華活動を行う。
※我々はこのような無意識に起こる葛藤などの繰り返しの中で日常生活を営んでいる。
エスと関係がある視床下部についてー
視床下部は間脳にあり、摂食行動や飲水行動、性行動、睡眠などの本能行動の中枢、
及び怒りや不安などの情動行動の中枢。
人間行動とは奥深くて単純
あなたは日常生活において、無意識にどんな役割を演じているだろうか?
『エス』と『エクスペリメント』
これらの実験や映画は、与えられた役割によって人間はいとも簡単に性格を変えることができることを示唆している。
しかも、わずか6日で中止になったほど役割によっては短期間で変わってしまう。
そこで、もう1度聞こう。
あなたは普段、どんな役割を担って生きているだろうか?
この実験と映画は無意識における恐ろしい実態を明らかにしているが、
この質問を自身に投げかけることにより超自我を目覚めさせ超自己を作り上げることができるかもしれない。
あなたは一体何者なのか?
それは、あなたに課せられた役割によって決まる。
このような大切な”役割”というものを、たった日給10万円で他人に任せてはいけない。
あなたは管理する側か?それともされる側か?
あなたの心も試される。
[紹介]無意識理論の生みの親は、当時、片田舎で温泉療法を営んでいたマッサージ師だったという…
エスとの対話―心身の無意識と癒し
※身体の精神療法の内容です。
[参考URL]
■エクスペリメント公式ページ
■映画『es』の内容wikipedia
■スタンフォード監獄実験の公式サイト (英語)※実験時の実際の画像も掲載
■2004年にエスと同じくドイツで公開された(ホラー?)映画の感想
題名は同じエクスペリメント
こちらは全く面白くないらしい(笑
”自我”については、こちらの記事も参考になると思います。
icon-arrow-right エゴの招待とは?
いただいた「簡単に性格を変える!その方法とは?実験求人募集」の感想と学びを紹介
このコンテンツを読み終えて、こんな考えが湧き出ました。
外部情報は状況と結びつき、
心理の深く、意識の奥底に到達し、否応なしに変化を固定する力がある。
私はこの考えに自身の存在や役割を重ね、余韻を感じました。
それは出来事や環境、心境が、
インパクトがあればあるほど、また継続的に続くほどに、
平和に毎日を送る私でさえも、
恐るべき変化を遂げる可能性に気づいたからです。
知らないことを知る度に、
体験には莫大な情報量と、変化させる力があることを思い知りました。
このコンテンツでは、自我とエスの対極について、
またエスが自我の防衛線を突破することで、性格さえも歪め、
役割を劇的に変えてしまうことについて、深く学ぶことができました。
私は未だに、
このコンテンツの題材となっている映画『 エス 』や『 エクスペリメント 』を観ていません。
なぜなら視覚的なインパクトが強すぎる上、
人間の野性的・本能的な描写がリアルだと、友人に聞いたことがあるからです。
実際にこの映画の存在を知ったのは、私が大学生の頃でしたが、
10数年は経っても尚、観る勇気はありませんでした。
” 自我は最も頻繁に行う活動の一つとしての
外界からの無意識に起こる防衛機能ということ。”
よく「 エゴ 」(自我)を悪者扱いする言葉を見聞きします。
・エゴ(我)が強すぎる
・エゴが邪魔をしている
・エゴイストは迷惑者でしかない・・・など、
自我の本来の意味からかけ離れ、一般的に自己中心的な言動が自我だと思われていることに、
私は以前から疑問を持っていました。
この言葉を引用させて頂いたのは、
この疑問を解くに素晴らしい回答だと感じたからです。
防衛がなければ、私たちはきっと発狂してしまうか、
外部のあらゆるものに、完全に支配されてしまうと思うからです。
トラウマや経験則からの言動は、
自我の恩恵ともいえますが、副作用として悩みやパターン化などが発現することも事実です。
しかし、自我が無意識に働いてくれなれば、
私は今もこうして社会活動を営むことが決してできなかったことを、
改めて意識することになりました。
” エスからは自我を貫いて、あらゆる欲動が表現される。 ”
私はこの一節の中の「貫く」という表現が端的、且つ衝撃的であると感じます。
猟奇的な事件や、あらゆる暴力沙汰、
インターネットでの残酷性の解放や誹謗中傷などを関連付けてしまうのは、
私だけではないはずです。
私は、自我を防衛本能であると理解しつつ、
自我だけに頼らずに自分自身の役割や貢献できる素質について、
自発的に考えていく必要がある、と深く考えさせられました。
その上で健全な欲動を持ち、自我とエスの均衡が保たれ、
人生を謳歌したいという願望も生まれました。
” あなたは日常生活において、無意識にどんな役割を演じているだろうか? ”
” あなたは普段、どんな役割を担って生きているだろうか? ”
他人だからこそ、人は優しくなれる。
他人にだからこそ、人は残酷になれる。
所詮、他人だからできることとは思いません。
現に自分を大切にできなければ、よく知らなければ、
同じ悩みや苦しみを抱える人に、手を差し伸べることは到底不可能だからです。
またすべては、自身の内的な世界の構築具合によって変化するのだと思います。
その役割は、度合いによって一方の傾きを強まることで、
どちらかにも転ぶことが有り得ると思うのです。
他人と身内の対比に喩えるなら、
他人だからこそ依存し、身内だからこそ自立し得るとなり、その逆も然りです。
一方があるなら、必ずもう一方も存在するはずで、
それこそが「 2極性の世界 」を生きている証拠だと考えます。
私の日常は、人によっては取るにならないという印象もあれば、
意外性があって面白い、と感じている人もいると思います。
それを私は意識してどのように担っていこうか、としみじみと時間をかけ、
この時間だけに留まらず、絶えず考え続けていこうと思います。
” このような大切な ” 役割というものを、
たった日給10万円で他人に任せてはいけない。あなたは管理する側か?それともされる側か?
あなたの心も試される。 ”
人それぞれ、
どのような人間になり得るかという要素は等しく在るのかもしれない、
そう思えて仕方がありません。
しかし、双子とて同じ景色を見て、同じ時間を過ごしても、
絶対に同じ人間は育ちませんし、そんなことを望まないと思います。
それは意思の自由がきく環境の場合の話、であることを忘れてはいけないと、
このコンテンツで学ぶことができました。
それは学校や会社で絶えず、引き起こる「 虐め 」に通じるものがあります。
誰に教わったわけでもないのに、
ある一定の条件や環境、欲望が交差した時に、
人の残虐性が発現されるように思います。
また虐めは同時多発的に、何世代にも渡って繰り返され、
社会全体の構造が、牢獄みたいなものだと感じさせられて仕方がありません。
この社会構造の中で、
私は絶えず心の在り方や、自身の役割について考え、
意識し続けることを試されているのかもしれません。
” エスと関係がある視床下部について –
視床下部は間脳にあり、摂食行動や飲水行動、
性行動、睡眠などの本能行動の中枢、及び怒りや不安などの情動行動の中枢。 ”
人間の根本的な怒りは、
人それぞれにあるトリガーが引かれた時、
時と場所を選ばなくなるのかもしれない、という考えに至りました。
これまで私は、あらゆる行動は恐怖が起点となり、
負のエネルギーが臨界点を超えた時、爆発するのだと思い込んでいました。
しかし実際には、本能と情動の中枢が同じ領域にあり、
自我が「 塞き止めている 」に他ならなかったことを知るに至りました。
この事実は、私にとって心理や無意識についての大きな発見です。
大げさに喩え、これまでを振り返るなら、
寝ることと同じように、怒りや不安に飲み込まれることも至極当たり前だ、
というような考えに行き着きます。
そう考えることで、
普段から心身を、ある程度力の抜けた状態に保たなければと思います。
緊張状態はやがて、不安と恐怖を増長させ心身を蝕むからです。
自身で人体実験をしてきたことが、過去に数多くあったことを思うと、
私の身体全体と、心に申し訳なくなりました。
” これらの実験や映画は、
与えられた役割によって
人間はいとも簡単に性格を変えることができることを示唆している。しかも、わずか6日で中止になったほど役割によっては短期間で変わってしまう。”
そんな生命の危機が、普段起きないようにと、
私たちは必死に、防衛線や境界線を引いて、
自分も人も守りながら生きてきたのかもしれないと、
脳や自我の働きに驚嘆してしまいました。
エス・・・あらゆる欲動が詰まった場所を知ることができて、
恐ろしく思いながらも、喜びを感じています。
特定の条件下や状況下で、
私たちの「 潜在的 」な力が発揮されるかもしれませんし、、
暴走し、発狂してしまう可能性もあり得ます。
しかし、誰かのために自分の役割を見出した時、
人は自尊心を守りながら、
誰かのために身を奉げることができるかもしれません。
その真逆となる犠牲の貢献があったからこそ、
この実験の恐ろしさと、得られた気づきがあります。
その事実を、ただ恐ろしいという言葉で片付けるのは早計だと思うのです。
” この質問を自身に投げかけることにより
超自我を目覚めさせ超自己を創り上げることができるかもしれない。
あなたは一体何者なのか? ”
私はきっと誰とも変わらず、
意識できない自我と、本質的な欲と共存して、
人生を綱渡りし続けていくのかもしれません。
その過程には、私を何度も揺り動かし、突き動かす、
外部からの情報や環境があり、
役割を求められることもあるかもしれません。
人生は常に曲線と直線を描き、
人生は面白いほどに、思い通りにならないことだらけです。
客観的に事実や人生を、ありのままに見られたなら、
私は今すぐにでも、この映画を俯瞰して観られるような気がします。
しかしながら、その際には大切にしたい視点があります。
自分が自分を管理するための可能性を知るため、という視点です。
この視点を持つことで、私は私自身にとって、また誰かにとって、
どんな役割になっているかを思い出すためにもなります。
意図や目的を持ってこそ、積極的に気づきを得られることを覚えていきたいと思います。
誰もが過去には思いもしなかった、
求めることも考えつかなかった役割を担う可能性があります。
それは知らなかった本質を知ることから、実現し始めていく、
という考えに何度も行き着きました。
だからこそ私は、自分自身を知るために人と繫がろうと思います。
それは、強制的に変貌を遂げるのではなく、
周りと調和しながら
自分で役割を「 実現する 」ということです。
そうすることで自身も周りも、
ありのままに存在する状態が心地良くなる、環境と精神を創り上げていけるのではないか、
と強く思うとともに、そう強く願って止みません。
難しい題材でありながら、
専門知識を解りやすく解説されているこのコンテンツが、
私が認識し、認知される自身の役割について、
大きなキッカケとなりました。
私自身は過去を振り返りながら、
現在も相も変わらず、脳が働き続けてくれていることを意識し、
より良く脳を活用したいと思っています。
また、自分らしくありながら、
私だからこそ実現できる役割を担っていきたいと、深く内省させて頂きました。
それは、知らないことを知ることから始まりました。
キッカケに出会う毎に感謝しつつ、
自身の成長の資源となる、あらゆる情報を選別していきたいと思います。
この意味でこのコンテンツは、
私の成長への躍進を力強く後押ししてくれています。
また思い出した時、気づきを得たい時、そして原点に戻りたい時は、
このコンテンツに舞い戻りたいと思います。
有益な気づきに対して感謝します。
有難うございます。
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