夢をノートに書くと実現する、といった話があります。
それには潜在意識や心理学的観点からみても一理あるのですが、夢をノートに書く前に注意すべき重要な点を見逃してはいけません。
それは、現実にいる獏の存在です。
※実際に高い効果が期待できる夢ノートの具体的な書き方は、最後に記載しました。
夢ノートを書く前に、夢を喰らう獏の存在を知る必要があります。
獏(バク)という架空の動物をご存じでしょうか?
獏
獏(ばく)は、人の夢を喰って生きると言われる中国から日本へ伝わった伝説の生物一覧 伝説の生物。この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎にそれぞれ似ているとされるが、その昔に神が動物を創造した際に、余った半端物を用いて獏を創造したためと言われている。奇蹄目バク科の哺乳類で実際に存在する動物も獏と呼ばれる。その動物についてはバクを参照。なお、京都大学名誉教授 林巳奈夫の書いた『神と獣の紋様学―中国古代の神がみ―』によれば、古代中国の遺跡からバクをかたどったと見られる青銅器が出土している。
引用元 : Wikipedia『獏』
このように眠っている時に出てきて食らうバクです。 ちなみにこれを機会に「夢」の意味をみてみましょう。
夢
夢(ゆめ)とは、睡眠中に起こる体感現象の一種。夢とは睡眠中に起こる、知覚現象を通して現実ではない仮想的な体験を体感する現象をさす。睡眠時は本来ならば何も感じていないと考えられる大脳が覚醒時と同様な活動状態を示す脳波になる。時にはその活動に刺激されて反射 (生物学) 反射運動がみられる場合がある。この反射運動には、寝ている状態で手足を動かす、声を発する(つまりは寝言)などある。寝言の中には歌を歌いだすという報告もある。反射行動の中には日常生活では見られない行動、奇異であり不思議な行動が見受けられる。ジークムント・フロイト フロイトの報告によれば、普段聞きなれているのだが、発音できなかった(もしくは上手でない)外国語を突然、流暢に喋りだすという事例がある。また、睡眠中に突然起き上がり歩き回るが覚醒時にはその記憶が残っていないなど、その行動が顕著な場合に睡眠時遊行症 夢遊病と呼ぶことがある。
引用元 : Wikipedia『夢』
夢をみる理由はまだはっきりとしていませんが、有力な説では…
また夢はストレス解消のためとも言われています。
人間は夢や希望を持っていないと現実の重さにはとても耐えられないのかもしれません。
ただ、夢はいつか覚めます。逆にいえば覚めるから夢であって、直ぐに冷めてしまうと夢とはいえないのではないでしょうか。
ともあれ、今回のお話しは、夢の存在理由ではなく、本来の貘のことでもなく、かといって眠っている時にみる夢でもありません。
現実に存在する「夢を食らう獏」の話をしていきましょう。
獏が現実に存在するなんて、突飛な考え方と思えたことでしょう。
その通りです。
ここではあくまで例え話として、どうかあなたの大切な夢を食われないよう、参考にしていただければ幸いです。
夢を食らう獏には2種類存在します。
それではここからは、それぞれの解説をしていきます。 まずあなたの周りの獏、これはあなたの可能性の芽を摘もうとする人々です。
あなたが夢を持とうとすると、「そんなの現実的ではないよ」「もっと身の程をわきまえなさい」「目を覚ましなさい」…etc
と現実に引き戻そうとしてきます。 なぜそのようなことをするのか?といいますと、
その理由はその人自身の価値観から出ることであり、その価値観をオーバーしたものは「大丈夫だろうか」との心配が出てくるからといえます。
どちらにしても、この1のパターンはあなたを心配してのことなので客観的なアドバイスとして参考にしてもいいと思います。
ただ感謝を持ちつつ最後は自分で決めることを忘れなければいいだけのことです。
それでは続きまして2の解説にうつります。
こちらはあまり知られていないのですが、人の夢を食いものにして生きている獏という存在があります。
あなたが夢を持つようにうながし、夢を持ったら最後、「夢を叶えてあげるよ~」と持ちかけてきます。
しかし当然ながら保証は決してしません。 しかもこの時殆どの場合お金が必要となってきます。
結局、夢を叶える期待を上げることの代償にお金を払い、叶えられなければまた次の夢へと、夢を食らう獏に吸い上げられていくだけで終わってしまうのです。
結果どうなるのか?
夢を少しずつ吸い上げられたものたちは、徐々に不信をいただきはじめ、夢なんて馬鹿げたことだと気が付きはじめ、
夢をみるよりまずは現実だ、と逞しくなるのか、或いは徐々にやる気を無くしていき抜け殻の状態になっていくか、
どちらにしても夢が無くなっていき、負の要素が増加していく傾向がみられます。
逆に夢を吸い上げた貘(バク)は、「あ~お腹いっぱいになった」と、実は夢を叶えたのは貘だった、という洒落にもならない結末が待っています。
ではどうすれば貘に夢を食われずにすむのか? ここでは2つの方法を提案しておきます。
この答えを一言でいいますと、「中途半端」がいけないということですが、2つ別々としてどちらかを使うのではなく、どちらも同時に使っていくことを推奨しておきます。
どでかい夢だと、貘は許容を超えているので、とても食べきれません。
極端な例を1つだけ出しておきます。
今回の話は概念的で分かりづらいのは否めません。
ともあれ、あなたの夢を貘に食われないよう十分にお気を付けください。
本来の貘は悪夢を食べてくれていたのですから…
実際に高い効果が期待できる夢ノートの具体的な書き方につきましては、
詳しくステップ&ステップ形式でコチラに掲載しております。
⇒目標達成神話の5つの書き方~願望実現ノートの秘訣
夢を見た後、
脳内ではこんなことを考えているのか、本心にはこんな願望があるのかと、
目を醒ました直後、眠気眼(ねむけまなこ)の状態で、
こんな風に考えを巡らせることが尽きません。
このコンテンツに出会い、
夢を見るということと、現実を生きることは同じだという観点で、
私自身の人生について考える機会を得られました。
また、淡い夢や強く思い描く夢を持つ私にとって、
現実的に目を醒ます題材となりました。
なぜなら、夢を思い描くだけで終わるのか、
実際に自身の力で実現させるのか、の重大な分かれ道を示してくれているからです。
” 実は夢を叶えたのは獏だった、という洒落にもならない結末が待っています。 ”
このコンテンツは夢の話をしているようで、
実際には、現実に並々ならぬフォーカスが当たっていることに、
気が付つかずにはいられませんでした。
「 現実は小説より奇なり 」といいますが、
まさにこのコンテンツ全体が、この諺の綾を見事に表し、
私の現実を夢の泡にしないために、目を食い入って読ませて頂きました。
夢を食らう獏が実は、
身近に居る人たちと、求めた情報の提供者たちだったことは、
知りたくなかったけれど、もっと早く知りたかった事実でした。
私たちは昔から、色々なことに興味関心を抱きますが、
家庭の都合や環境、風習、親や身近な人の価値観などに、影響を受けながら、
大きく左右されながら生きてきました。
それは良い悪いでは計り知れませんが、
外部の影響は、個人の実現力に必ず影響を及ぼすことだけは認めざるを得ません。
知ったからこそ、今からスタートだと思い直ることができ、
これ以上の知らぬ存ぜぬは、一層の苦痛を生むことも併せて痛感させられました。
” 夢を少しずつ吸い上げられたものたちは、
徐々に不信をいだきはじめ、夢なんて馬鹿げたことだと気が付きはじめ、
夢をみるよりまずは現実だ、と逞しくなるのか、
或いは徐々にやる気を無くしていき抜け殻の状態になっていくか、
どちらにしても夢が無くなっていき、負の要素が増加していく傾向がみられます。 “
自身に影響を与える存在の影響力を知ることがなければ、
夢を失っていくことが顕著になり、
人生の希望が希薄になっていくという状況を「 許してしまう 」のだと気づきました。
私は実際に、上記の両方の立場を経験しながら、
やはり夢を失われ続けてきたのだと、改めてこれまでの人生を振り返りました。
それならば、これからはしっかりと自己実現を達成するためにも、
自身の夢を守るためにも、その方法を知りたいという思いが強まりました。
” 1.どでかい夢を際限なく持つ “
” 2.夢は今すぐ叶えてもokだという概念を持つ “” この答えを一言でいいますと、「 中途半端 」がいけないということですが、
2つ別々としてどちらかを使うのではなく、
どちらも同時に使っていくことを推奨しておきます。”
獏が食べきれないほどの大きな夢を持ち、
夢は今すぐ叶っても大丈夫、という概念どちらもが、
これまでの私には無かった発想でした。
なぜなら、これまでずっと夢は「 いつか叶って欲しい 」と思い描いていたからです。
これは現実主義の考え方からしたら、
「 叶うといいね 」程度の感想しか頂けない代物といえるでしょうか。
私が「 つい 」という言葉が付いて出る、信念や計画性の無い言動が、
無意識のレベルで常習化していることが明らかになった今、
私はこの2つの概念を、大切にノートにしたためることにしました。
この部分は何度読んでも、頷いてしまいます。
それほど私自身に刻み付けたい部分です。
夢を叶える大前提が、誰にも夢を奪われず、影響に乗っ取られないために、
夢を持つことを自身に許可を与えることから始まり、
その許可を行使続けることが大切だと思えるようになったからです。
奪われる程、すぐに無くなる程、
『 私の夢は小さくも隙もありませんよ 』ということなのですね。
私は、この同時に使うという発想に深い感銘を受けました。
今大きすぎる程の夢を持ち、今すぐ叶えてもいいと思って夢を現実化することを
自身への自戒と励ましとしてジャグリングに喩えました。
1つ弧(夢)を描いたら、もう一方の手で叶える意識を実感し、
また同時いくつもの新しい夢を描く。
そうすれば回し続ける限り、夢を忘れず感じ続けることができる、
叶える決意を揺るぎないものにできる、ということです。
言葉に感化され、気づきから自身の発想へ繋げられることは
私にとってこの上ない喜びです。
だからこそ私は言葉の力を信じることを止められません。
お金は周り、惑星も周り、
私たちも日々、思考と感情を動かし続けています。
1つでも停まってしまったら、派生的にあらゆるものに影響が出ます。
それならば私の夢が無くなってしまったら、まずはじめに私が困り、
またその夢の喪失によって、影響を与えられるはずだった人たちも困るはず。
このような可能性の喪失について、考えを巡らせました。
これは勘違いでも夢でもなく、現実なのだと思い直り、
この発想自体が湧いたことに嬉しくなりました。
” 本来の獏は悪夢を食べてくれていたのですから… ”
夢を眠る時に見るだけでは、
密かにノートに書くだけでは、本当に寂しいのですね。
私は飽きもせず、夢が覚めても現実を見ることを拒んできました。
それは目が開き切っていない、中途半端な生き方だったと思います。
実際に私が夢を現実と捉え、現実化し続けるすることで、
疑っていた人にも、願望を与えることができるかもしれません。
また視点を変えるなら、
周りの人や影響力のある人のせいにして、
夢を失ったと嘆くことが、本当はお門違いだということに気づきました。
そんなことを実現し続けるよりも、
尚更自身で夢を叶える決意を固めなければ、と思い改めることになりました。
今回私は、夢と現実を両方叶えることが、
夢を守ることは、現実をよく知ることという意識に辿り着くことができました。
コンテンツに触発され、生まれ変わった私の意識が、
今からの夢と現実を繋ぐ「 原動力 」になっていくことを信じて止みません。
素晴らしい夢と現実の架け橋になる気づきを頂き、有難うございます。