最終更新:2024年10月11日
54.私
「お前は誰だ?」
Aは自問自答した。
「他でもない、俺は俺だ」
その後Aは、自分自身を確認していた。
身体や顔を手で触り「この全てが俺だ」と納得した。
ところが、それでは終わらなかった。
Aは更に自問自答を続けたからだ。
「では、その確認した者は誰だ?」
「もちろん、それも俺自身だ」
「その俺自身とは、何者だ?周りから認識される名前や肩書全て取り払ってみろ。何が残るんだ?」
「もちろん俺という意識が残る」
「では、その意識はどうやって生じているんだ?」
「それは、脳のシナプスから反応パターンとして生じているのだろう」
「では、お前はシナプスなのか?」
「それは違う。シナプスの形成で生じた意識が俺だ。シナプスだけでは俺とはいえない」
「では、それを考えようと指示したのは誰だ?」
「もちろん、俺自身だ」
「ほぉ。ならば、俺自身と答えを出したのを指示したのは誰だ?」
「それも俺だ」
「ならば、俺という存在は、複数いるということなのか?」
「いや、瞬間的に生じた意識にいるということだ」
「それなら、電気信号がお前なのか?」
「それも違う。電気信号はキッカケに過ぎない」
「では、キッカケが生じなければ、お前も生じないということになるのか?」
「それは違う。キッカケが生じなくても、俺は存在するわけだから」
「そう考えが浮かんだのも、キッカケが生じたからだろう?」
「よく分からなくなってきた」
「なるほど。それが答えだな」
「そうだな。結局のところ”よく分からない存在”それが俺かもしれないな」
補足
普段、当たり前過ぎてしまい考えることもない存在。
といっても、何よりも身近な存在である「自分自身」という存在。
意識というものが解明されるまで、自我や意識といった自分自身を証明するのは、簡単ではないといえるのかもしれない。
自分自身すらハッキリしないのに、他の人を理解するのは困難を極めるといいえるのかもしれない。
だからこそ、理解する努力が必要だという見方もできる。
「瞬間、瞬間」に変化する自分自身という意識。ハッキリと確認できないが故、確認できるもので自分自身を補おうとしているのだろうか。
繋がる経過の中でのみ存在できる者、それが自分自身なのだろうか?
「そんなことどうでもいい」と思う自分がいなければの話だが..
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