87.笑い
Aは、お笑いが好きだった。
笑うのは人間の特権だと信じていたし、内蔵が動くので健康にもいいし、ストレス解消になるのだから、願ったり叶ったりだと思っていた。
それでも、普通に生活をしていても、そこまで笑えるような出来事が起きるはずもない。
そのためAは、お笑いの番組をみるのがが好きだった。
そんなある日の事。
「笑いを極めたような人」がいることを知った。
実際には極めていないとしても、Aとの相性は抜群だった。
その芸人が少しでも話すと、Aは笑いが止まらなくなるほどだった。
酷い時には、お腹の中がよじれてしまうほど笑ってしまう。
Aは笑った後「死ぬかと思った」と、頻繁に口にするようになった。
Aは思った。
「このままでは、この人に笑い殺されてしまうかもしれない」
もちろん、実際にはそんな事はありえないと思いながらも、Aは内臓がよじれるような、死の危険を感じるほど笑ってしまうのだ。
そこでAは笑うことについて、見直してみようと考えた。
するとAは、笑わせてもらうことが当たり前になっていたことに気がついたのだった。
自分の力で笑えなくなると、現実社会はますますつまらなく感じた。
そうなると、ますますいつの間にか、笑わせてもらわないと殆ど笑えなくなっていたのだ。
そこでAは思った。「このままではいけない」
それからというもの、Aは自力で笑う努力をすることを決意した。
笑う努力とは、何だかおかしなことである。
そう思うこともネタにしながら、Aは笑えるように努力を続けた。
厳密にいえば、楽しく感じることを気がける生活をしていった。
そうしているうちに、これまでお笑い芸人に笑うことを、いかに依存していたのかを思い知ることになった。
それでも諦めず続けた結果、遂にAは自分の力で笑えるようになった。
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そして、Aはそれには飽き足らず、更に磨きをかけていったのだった。
すると努力のかいがあり、いつの間にかAはどんな事でも笑えるようになっていた。
それで困った事は、身の上相談の悩みを聞いている時や、上司の話など真面目な話を聞いている時、そして何よりお葬式の時だった。
Aにとっては、どんな事も可笑(おか)しくてたまらないのだ。
そんな時には、必死で我慢して耐えるようにして、何とかしのいでいた。
自分の力で笑えるようになったAは、今度は笑わない努力をする必要が出てきたのだ。
そして長い時が過ぎ、Aにも人生の終わりが近づいてきた。
Aは息をひきとる直前にさえ、こらえきれない笑いが出てきた。
心配した周りの家族は言った。
「どうしたの。何が可笑しいの?大丈夫?」
するとAは言った。
「ククク、これが笑わずにいられるか。
俺の人生も、もう終わりなんだってよ。ククク、アハハハハッ」
Aはその言葉を最後に、息を引き取ったのだった。
補足
自分以外の人によって、喜怒哀楽が決められてしまう事は、少なくないといえるだろう。
というよりも、何処へ行っても、感情を動かす目的のアプローチは無くなることはない。
その視点からみると、いつの間にか自分自身で感情をコントロール出来なくなっていても、何ら不思議ではないのかもしれない。
だからといって、全て自分自身で感情を処理しようとすれば、コントロール出来るようになるのだろうか?
どんな事も「ほどほど」に行うのが適切だとして、まずはそれには気づく必要があるといえるのではないだろうか。
「面倒だ」といってしまえばそれまでだが..
次は..88.無神経
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