41.芸術
Aは無名な芸術家だった。
Aは寝る間を惜しんで作品作りに勤しんでいた。
それでも一向に認められる機会がなかった。
ある時、はじめてAの作品が認められた。
それは、十億円の値が付いた。
Aは「これで一生暮らしていける」と思った。
安心することで刺激が薄れたのか、それ以降、Aからは認めるような作品が出ることはなかった。
とはいえ、Aは著名な芸術家となったことで、一定のファンが買ってくれることもあり、作品を出す度にそこそこの値打ちは付いたのだった。
そんなある日の事、Aはスキャンダルにさらされることになる。
唯一値が付いた十億円の価値が有ると思われたAの作品は、何とAは全く手を付けていない自然のままの石だったのだ。
何も手を加えていないAに対して、金を払って入手した者がクレームを申し立てた。
Aは言った。
「確かに私は何も手を加えていません。しかしながら、それを発見したのは私なのです。
その証拠に、私のサインが書いてあるでしょう」
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補足
芸術の定義は難しいといえるのだろう。
この話の例は極端かもしれない。それでも仮に、いくつかの石を並べただけで、それを自分の作った芸術として主張した場合、それが「並べただけ」だとしても、何も問題ないように思える。
それでも「何も手を加えていない」という点では違和感を覚えるかもしれない。
であるなら作曲も同じことがいえるのかもしれない。音を並び替えたに過ぎないのだから。
そうではないとすれば「自然そのもの」が芸術だといえるだろう。
それを薄っぺらいと思うのなら、人間のエゴがそう思わせているのかもしれない。
それは芸術と芸術品の一文字の違いに過ぎないとしても、価値は人が決めるものだとしたら、大きな違いなのだろう。それは多数決で決まってしまうことが多々あったとしても..
次は..42.経験
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