最終更新:2024年10月11日
63.知識
A男は「絶対的な力」を信じていた。
それは「絶対的な力」というだけで、他には言い表すことはできなかった。
それでもA男は、その「絶対的な力」によって、この世の全ては関連付けられ動いているという信念を持っていた。
この理由で、A男は得た知識や経験全てを「絶対的な力」と関連付けて考えるようにしていた。
A男は「絶対的な力」のお陰で全ての真実を知ることが出来ていると思っていた。
実際、A男の周りにも、この「絶対的な力」を信じる人が多かったし、世間でも権威のある人が信じはじめ、認められつつあったからだ。
A男はこの考えに誇りを持ち、胸を張って堂々と生活を営んでいた。
そんなある日の事、ふとしたキッカケで「知識には三つの条件がある」ということを知った。
するとA男がこれまで信じていた知識の根である「絶対的な力」は、こじつけで正当化されていることが判明したのだ。
A男が考えていた知識という概念は、これで百八十度変わってしまった。
つまりA男は「何も知らなかった」のだ。
A男は、その事実を受け入れることは、とても出来なかった。
そこでA男は決断した。
「こじつけではないから、大丈夫」
補足
仮に、こじつけや勘違いが知識だと認められてしまえば、この世はどうなってしまうのだろうか?
多くの人が信じれば、それは知識となってしまうのだろうか?
であるなら、極端に言えば人を殺したとしても、多くの人が殺していないとこじつけることができれば、それは殺していないという知識になるのだろうか。
このような何でもありという世界では混沌としてしまい、安心して暮らすことはできなくなる。
そのため、司法では「正当性」という見方を重要視する。
これは誤魔化しや曖昧さ、こじつけとは真逆となる。
だとすれば、私達は知らない事だらけといってみてもいいのかもしれない。
「知っている」というこじつけさえしなければ..
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