62.名前
その人間は「私」という名前だった。
私は「私」という名前が気に入っていた。
確かにありふれた言葉だといえる。
だからこそ使う人が極端に少ない。
少ないということ、それは特別だということになる。
もちろん相手が「私は考える」と言った時、少し混乱することはある。
それでも「私」という名前はシンプルで使いやすい。
それに、私はどこまでいっても私だから、こんなに確実に存在を確かめられる安心感はないといえた。
なぜなら、私は私だから。
私は考えた。
「もちろん言葉はレッテルに過ぎないから、私という名前も確かだという保証はないといえるわ」
「でも、それでも..」と私は考えを続けた。
「私は私の連続体だということなのは確かね」
ということで私の考えは落ち着いた。
「私が私だと考えられる限り私なのだから」
補足
自分自身の存在を見極めていこうとすると、行く先には混乱がまっている可能性が高いといえるだろう。
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自分というもっとも大切な存在であるにも関わらず、その混乱を避けるため、もっとも手軽である「深く考えないようにする」という方法で難を凌いでいるのかもしれない。
ではなぜ、混乱がまっているのだろう?
それは元々存在しないものを考える難しさからだといえるのかもしれない。
見方によれば、これは「神の存在」とも似ているといえるだろう。
だからといって「私はここには存在しない」ということで、腑に落ちるということにはならない。
なぜなら、存在を感じているのは確かなのだから。ただ、それが曖昧で掴みどころのないものというだけだ。
だからこそ、人は自分以外の「外に」自分の存在を確立するものを求めるのかもしれない。
そこに「私」はいないのだとしても..
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